最終手余詰
47局目のコメント欄で書いた「理屈的には最終手余詰不可のほうが正しい」という言い回しはちょっと誤解を与えそうだな、という気がしてきたので、「機会があれば書いてみたい」といっていた点と合わせて補足しておきます。
まずは例題1を見てください。
例題1
詰まし方は3通り。
A 22龍まで
B 22歩成まで
C 31龍、12玉、22龍まで
このうち、Cが余詰に当たることは間違いないと思います。ではAが作意とした場合のBはどうでしょうか。
作意と違う詰まし方なのだから余詰だ、という見方ができます。そしてその見地からは、私の上記コメントは誤解されるでしょう。なので補足。ここでいう最終手余詰はCを念頭に置いたものです。Aに対するBは私としては単なる非限定扱いで、不可とは思っていません。
「最終手局面において成立する、作意と異なる着手のうち、作意の王手駒が拠点駒に、拠点駒が王手駒に入れ替わり、着手地点が同一かつ無条件で1手完結するものは、余詰とは見做さない」
これが私の考えです。
次に例題2を見てください。
例題2
詰まし方は(1手目だけで)8通りありますが、22と以外は全部余詰だと思っています。22飛成は拠点駒と王手駒の入れ替わりですが、不成から詰ます手段があるので、無条件1手完結ではありません。
さて、7通りの余詰のうち、どれが許容できてどれができないかは、人それぞれでしょう。あらゆるパターンを差別化していくのは非常に困難で、まとめてキズと見るしかない(まとめて完全扱いはできない。だって余詰なんだから)というのが「理屈的には」「不可のほうが正しい」の謂ですが、ちょっと断定的過ぎたような気がします。
まとめますとあのコメントは「単純な非限定以外の最終手余詰は、一律キズと見るほうが合理的だ」くらいの表現にしておいたほうがよかったかなと思います。
なお私の考え自体は結局、理屈は嫌いだ! かたいこといわずにまとめて可でいいじゃないか。というもので、47局目の本文で書いた通り、最終手余詰はあまり気にしていません。
人に説明するための文章など書いたことがなく、疲れました。伝えたいことがちゃんと伝わったか不安ですが、この辺にしときます。
追記 例題2の41歩は桂でなければいけませんでしたが図面を直すのは面倒なので、詰まし方の数を訂正しました。